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メモ : 「問題」についてちょっと考えた

これはなに?

ずっとデスクの横に積んだままになっていた『ライト、ついてますか』の第一部を読んで床に就こうとしていたとき考えていたことのメモです (多少きれいにしてますが、本当にiPhoneのメモに書き残していたメモです)。

結論だとか主張のようなものは特に含んでおりません。あしからず。

なんかいっぱい文章できてるし、せっかくだから投稿しておこうと思っただけです。

まとまりのない文章でどこに向かっているかもわからない内容ですので、 潰すだけの暇があればお付き合いください。

「問題」とは

書籍に書かれていた「問題」とは、

望まれた事柄と認識された事柄の相違

であった。

まず表現として「欲求」を使っていることについて。 他に類似する言葉として「理想」ではなくてなぜ「欲求」なのか。

完全に主観ではあるが、「理想」の場合は妥協があり得る気がする。 なんとなくmustとwantが混ざっているのが「理想」で、mustが「欲求」なのでは、と。

厳密にそうでなくても重みの比率としては「理想」はwantが大きくて、 「欲求」にはmustが大きい気がする。きっとそう。 狩野モデルの当たり前品質が「欲求」で、魅力品質が「利用」のような。

いや、この例えはわからんけど。

だとすれば、「理想」ではなく「欲求」を使っていることは正しいっぽい。 正しいとする(少なくとも現状別のよい定義は浮かばない)。

顕在化している問題としていない問題

なぜ顕在化しない?

問題は顕在化していないことも多い。 なんなら重要な問題は顕在化していないことの方が多いと思う。

顕在化していない、つまり認識できていない問題とはどういうことか。

認識できていないということは、欲求が弱いもしくは暗黙的になっている?

まずはこの「弱い」について考える。

弱い、すなわちmustではなくwantに近い? なんだか違う気がする。

ちなみに「弱い」ではなく、極端に考えて欲求が存在しない問題はありえるか? また、欲求を満たしているのに問題が起こることはないか?


欲求が存在しないとき、これについては欲求が存在しない状況が存在するかを考えねばならない。

生活の中でなんの欲求も持たない瞬間はあるか。

うーん、無心で座っていたり横になっていることはある。


では、その状態で問題は起こり得るか。

たとえば座り心地、寝心地の悪さや室温、騒音は問題となるか。

ならない。


無心でその条件のまま「ただ在る」とき、 すなわち快適に過ごしたいという欲求がないとき、これらは問題にならないだろう。 耳が聴こえない状態のときに近くで騒ぎ声が鳴り響いていても問題にはならないと思う。

やはり問題たりえるためには欲求が必要だ。

しかしこの「弱い」に関しては、認識できていないから欲求が弱いのかもしれない。 因果関係が逆かも。


次に「暗黙的」について。 暗黙的だとすると、認識できていないだけで確かに欲求が存在しているはず。 前提となっている?


生存を続けるためにエネルギーが必要だけど、 「生存するためにエネルギーがほしい」という欲求は前提となり、それによって空腹と感じる。空腹を感じたことでそれを満たすために「食べたい」という欲求が生まれるように。

事実、「エネルギーがほしい」を認識して食料を摂取している人は少ないと思う。 それこそ雪山で遭難でもしなければ、少しでも多くのエネルギーを摂取しようとは自分なら思わない。


これを踏まえると、認識が「弱い」のは「暗黙的」になっているためで、「暗黙的」であるとは欲求が「連続的」で「間接的」になっていることかもしれない。

欲求が認識できていない状態で起こる問題はあるか?

欲求が暗黙的な前提となっていたり間接的で認識できない状態で問題は発生するか?

おそらく発生するだろう。

たとえば、 プロジェクトを順調に進めたい、という欲求があったとする。 これに対して発生し得る問題は「プロジェクトが遅延する」となる。

「プロジェクトが遅延する」ためには、原因が必要である。 そしてその原因に対して、暗黙的な欲求が存在するのではないか。

  • バグが多い → バグが出ないで欲しい
  • 見積もりに無理がある → 時間的余裕を持って作業したい
  • 頻繁に仕様や要件が変わる → 作り直したくない

といったように。


さらにこれらの原因は、原因であると同時に結果でもあるだろう。 なにが言いたいかと言うと、原因があって結果がある、すなわちこれら原因が結果であってその原因があるということ。

先程の「プロジェクトが遅延する」に対する原因として「バグが多い」を挙げたが、その「バグが多い」に対する原因として「レビューしていない」「テストが不十分」「ドキュメントが整備されていない」、てな具合に。 (このままrootまでに辿り着けるのかは知らない。「人間だから」になりそう。)

そして、また同様にこれら原因の原因にも欲求が存在しているはず。 これが暗黙的、間接的で認識できない問題に対する欲求だろう。

顕在化していない問題を解決する意味

顕在化していない問題があるとして、多くの顕在化していない問題を解決する意味はあるのか。

暗黙的で認識の弱い問題と、認識できている欲求に対する問題とではどっちを解く方が効果的か、または解きやすいか。


直感的に考えても前提となっている欲求に対する問題を解決した方が効果的だろう。

勇者は町外れ低級モンスターを倒すより、城で偉そうに鎮座している魔王を倒す方が効果は大きいはずだ。 魔王だと根本原因過ぎるので地域を任されている中間管理職のデーモンやオーガくらいでもいい。


ただここで大きな壁がある。魔王を倒すのは難易度が高い。

その難易度とは能力的な強さかもしれないし、到達するまでの道のりかもしれない。

姫から光の矢をもらってからじゃないと橋が架からない城とか、セーブポイントなしで広大なダンジョンの四方にあるクリスタル壊さないと会えないとか。

すなわち自分(たち)の力で解決できる問題のスコープを超えていたり、原因となる事象がムカデ人間のように何重にも連なっていることがあるということ。


このファンタジー世界のたとえが適切かわからないが、 魔王や中間管理職ボスを倒すのは効果的だが難易度が高いというのは、根本的な問題ほど解決が難しいと言い換えられる。

事実、プロジェクトで発生している困りごとの中には組織的都合や契約的都合で力の及ばない領域があるだろう。


また、無理に根本から解決しようとしてその方法を誤ると新たな問題が発生する。 ボスを失って統率のとれていた魔物達が好き勝手暴れ出し新たな勢力を築くかもしれないし、 弱いモンスターを倒して銭を稼いでいた戦士は職を失い賊になるかもしれない。


よく話が脱線するが、 ここまでを踏まえると顕在化していない問題を解決することには意味があり、またそれは顕在化しているものよりも効果が大きいと言える。


しかし、原因を辿るほど問題を解く難易度は高くなっていくだろうことも推測できる。

RPGよろしく、はじめは町外れの草原から着手し、徐々にレベルを上げて魔王に挑むのがよいのだろう。

また、スライムも倒せないのに魔王に挑むのは無理があるが、 魔王に挑めるレベルで洞窟のゴブリンを倒しても(すくなくとも勇者の周りでは)さほど効果はないだろう。


問題を解決するときは、自身の力で解決可能な領域で、 手が届くギリギリの範囲をせめることで効率的な経験値稼ぎができる。

すなわち改善効果が望めのではなかろうか。

※ でも多分、大量の経験値を抱えていてかつ倒しやすいレアなモンスターも存在するだろうから、こいつへの注意を怠ってはいけない。

ということを考えていた

はい。そんなこと考えてました。

3時くらいまで悶々としていましたが、ちゃんと翌日起きれました。ちゃんと出勤できてえらい。でも体調管理の観点ではえらくない。


第一部を読んだ時点で考えたことなので、もしかしたら似た話をするのかもしれないし、全く見当違いかもしれないので読み終えるまで震えて寝ます。

お付き合いありがとうございました。